Casesコラム

さいたま市の誕生 

さいたま市。関東圏に住んでいれば一度は訪れた人も多い都市だと思います。 

ただ、「さいたま」という名前の駅はありません。それもそのはず、さいたま市という都市は平成13年(2001年)に浦和市、大宮市、与野市が合併してできた都市なのです(のちに平成17年(2005年)に岩槻市を編入)。 

今年の9月にさいたま市で「さいたま地図展」が行われるということで、今回のコラムではさいたま市、主に浦和と大宮の地図で歴史を追っていこうと思います。 

 

1.浦和 -宿場町から埼玉の県庁所在地へ-

現在、埼玉県の県庁所在地は「さいたま市」ですが、平成13年(2001年)までは「浦和市」でした。平成の大合併で県庁所在地の名前が変わったのは全国唯一です。 

浦和という都市は、もともと中山道の宿場町として発展してきた都市です。その都市に、埼玉県庁がやってきたのは明治2年(1869年)のことで、この頃から宿場町だけでない、埼玉県の県庁所在地としての顔を持ち始めます。 

さいたま市の誕生 

 

-(図1)1906年- 

さっそく見てみましょう。この旧版地形図は明治39年(1906年)に測図されたものです。 

図の中央に楕円の二重丸が見えますが、これが埼玉県庁で、現在地と場所が変わっていません。そのやや北側にある楕円が北足立郡役所、その隣にある丸が浦和町役場です。なお、浦和町が浦和市になったのは昭和7年(1932年)のことでこれは都道府県庁所在地のなかで比較的遅い市制施行でした。現在、さいたま市役所は北西の常盤のあたりに移転しています。また、市街地の中央に走っている道が中山道で、こちらは現在も浦和のまちを南北に貫いています。 

「浦和中學校」とあるのが現在の埼玉県立浦和高校の前身で、現在は北東の領家のあたりに移転されています。浦和中學校の隣にあるのが埼玉師範学校で、現在の国立埼玉大学教育学部の前身、名前の通り教員を養成した学校です。なお現在の埼玉大学教育学部はさいたま市桜区下大久保に移転されています。 

こうして見ると、現在地から場所の移転がないのは埼玉県庁と中山道だけ、ということが分かります。 

 

 

-(図2)1929年- 

少し時代が新しくなり、昭和4年(1929年)修正の旧版地形図を見てみましょう。 

埼玉県庁の西側に「女師範校」とありますがこれは埼玉県女子師範学校で、これは大正13年(1924年)にこの地に移転してきたもので昭和18年(1943年)に埼玉県師範学校と統合、現在は埼玉大学教育学部となっています。なお埼玉県女子師範学校は明治34年(1901年)に開校しました。 

 

 

 

 

-(図3)1980年- 

だいぶ現代に近づいた、昭和55年(1980年)発行の旧版地形図を見てみましょう。 

市街地がかなり広がっており、今まで南北を縦貫する道路が中山道だけだったのに対し国道17号が新たに縦貫する道路として走っていることがわかります。 

また北足立郡役所がなくなり、浦和市役所が現在のさいたま市役所の位置に移動しています。 

「常盤」の上あたりに現在は見なくなった地図記号「電報・電話局」の地図記号がありますが、ここには現在NTT東日本新常盤ビルが建っています。 

 

 

 

-(図4)現在- 

そして現代の地理院地図を見てみましょう。 

昭和55年(1980年)の旧版地形図とあまり変わらないのですが、埼玉県庁、さいたま地方裁判所、埼玉県警察本部、埼玉会館など、県庁所在地特有のシビックシティとしての特徴を現在も持っていることがわかります。 

 

 

2.大宮-鉄道工場が発展させた都市-

埼玉県の玄関口といえば、大宮駅を思い浮かべる人が多く、一度は大宮駅を使ったことのある人も多いのではないでしょうか。 

 

大宮もまた、中山道の宿場町でしたが、「大宮」の名前の由来となった大宮氷川神社の門前町としても栄えました。そして、日本鉄道会社が大宮に車両工場を建てたことで、「鉄道のまち」という顔も新たに持ち始めます。 

さいたま市の誕生 

 

-(図1)1906年- 

この旧版地形図は明治39年(1906年)に測図されたものです。 

大宮駅の北側に「大宮工塲」という文字があるのがわかるでしょうか。これが明治27年(1894年)に操業を開始した大宮の車両工場です。 

また、大宮工塲の北側にY字路の分岐があり、これは現在でも高崎線と東北本線の分岐となっています。 

大宮工塲の東側に氷川神社があり、氷川神社の周辺は大宮公園になっています。氷川神社および大宮公園は現在でもありますが、その周囲にまだ針葉樹林や水田の地図記号が目立ち、まだ開発されていないことがわかります。 

 

 

 

-(図2)1929年- 

少し時代が新しくなり、昭和4年(1929年)修正の旧版地形図を見てみましょう。 

20年あまりで市街地が急速に広がった印象がありますが、それでも大宮工場がない線路の反対側、氷川神社の南側や東側は針葉樹林や水田がまだ残っています。 

また、少々わかりづらいのですが大宮駅のY字路の東側の線路が2本に増えています。これはもとからあった東北本線に加え、総武鉄道の路線(現在の東武野田線)が走り始めたことによります。 

 

 

 

 

-(図3)1980年- 

現代に近づいた、昭和55年(1980年)発行の旧版地形図を見てみましょう。 

だいぶ市街地が広がり、大宮公園東側の一角に水田や荒れ地を残すほかはほぼ市街地化しました。また、昭和5年(1930年)に開業した北大宮駅が描かれています。 

「大宮工場」が「国鉄工場」と地図上の名称が変わっていたり、大宮公園のなかに競輪場ができていたり(大宮公園の「園」の字のあたり)、浦和と比較しても開発が著しいです。また、大宮町役場が移転しており、昭和15年(1940年)に市制施行したこともあり二重丸の「大宮市役所」になっています。現在では大宮のほうが発展している印象もありますが、市制施行は大宮のほうが遅いのです。 

 

 

-(図4)現在- 

さいごに現代の地理院地図を見てみましょう。 

ついに北東部の水田等がなくなり、写っている範囲が完全に市街地化しました。

そして、大宮駅の北西側に鉄道博物館と鉄道博物館駅ができました。鉄道博物館とは平成19年(2007年)に開館した東日本鉄道文化財団が運営する博物館で、大宮総合車両センターの一部の跡地に建てられました。 

なお、「大宮工場」「国鉄工場」と書かれていた車両工場は現在「大宮総合車両センター」という名称で車両の修繕等を行っています。 

また、大宮公園の東側に「大宮第二公園」「大宮第三公園」とありますがこれらはそれぞれ昭和55年(1980年)、平成13年(2001年)に供用開始した新しい公園です。 

大宮は公園、鉄道が共存してまちを形作っているといえます。 

3.おわりに

さいたま市が成立してもう20年以上経ちますが、いまだに出身者は「大宮出身です」「浦和出身です」と言うのをよく聞き、まだ「さいたま」という帰属意識を持つには至っていないように感じます。 

 

その昔、「神奈川」と「横浜」という集落は別にあり、東海道沿いの神奈川のほうが繁栄するも開港により横浜に追い抜かされ、現在は(県の名称にはなっているとはいえ)神奈川に住んでいる人も横浜に住んでいる、という帰属意識を持っていると思われます。実際、神奈川町が横浜市に編入されたのは明治34年(1901年)、100年以上前のことです。浦和と大宮も現在はまだ対立意識は残っているにしても、これが50年、100年経てばひとつの都市という意識になっていくのだろうか、ということは気になるポイントです。 

 

なお、この原稿を書いた理由となった「さいたま地図展」は令和7年(2025年)9月27日~10月5日。RaiBoc Hall(市民会館おおみや)で開催されるので、皆さん是非お越しください。 

▶ https://www.jmc.or.jp/keihatsu-kyouiku/chizuten/ 

最後に、弊社は埼玉県の地図も取り扱っております。埼玉県の地図で「このような地図を作ってほしい」等ありましたらお問い合わせフォームからお問い合わせください。 

▶ https://www.naigai-map.co.jp/contact/ 

 

 

 

-----地図参照元----- 

図1 1/50,000 「大宮」 明治39年(1906年) 測図 (今昔マップより作成) 

図2 1/50,000 「大宮」 昭和4年(1929年)修正 (今昔マップより作成) 

図3 1/50,000 「大宮」 昭和55年(1980年)発行 (今昔マップより作成) 

図4 地理院地図より作成 

図5 1/50,000 「大宮」 明治39年(1906年) 測図 (今昔マップより作成) 

図6 1/50,000 「大宮」 昭和4年(1929年)修正 (今昔マップより作成) 

図7 1/50,000 「大宮」 昭和55年(1980年)発行 (今昔マップより作成) 

図8 1/50,000 「大宮」 平成16年(2004年)発行 (今昔マップより作成) 

図9 地理院地図より作成 

まずはお問い合わせください

お電話、またはWebからのお問い合わせが可能です。